矢野顕子 (やの あきこ)

矢野顕子 (やの あきこ)

简介:矢野 顕子(やの あきこ)、1955年2月13日- )は、日本の女性シンガーソングライター。東京都生まれ、青森県育ち。青山学院高等部中退。 「矢野」の姓はデビュー当時に矢野誠と婚姻関係にあったため、当時の本名を芸名に使い、それが世に知れ渡ったために離婚後も使っている。愛称はアッコちゃん、または矢野さん。 歌手の坂本美雨は再婚相手の坂本龍一との間に生まれた長女。 母方の祖父は、ロシア人の父親と日本人との母親との間に生まれた医師で、三陸沖地震や関東大震災の際の医療活動に活躍した 简介:デビューのきっかけになった青山ロブロイのオーナーの遠藤瓔子には厳しくしつけられたと語っている。 エホバの証人であることを公言していて、アルバムのブックレットで謝辞を述べるなど同宗教を信心している旨の発言が多いことでも知られている(例として『ラヴ・ライフ』、『ゴー・ガール』など)。 「YMO以降、彼らと同等の音楽的業績を上げた日本のバンドは存在しない」との立場を採る(『ミュージック・マガジン』2006年12月号)。その理由の一つとして、「YMOの3人がいずれも演奏家としても超一流である」ことを挙げている。このように演奏技術の高度さへの拘りは非常に強く、様々なインタビューにおいて「日本の若い音楽家はもっと技術を磨くべきだ」という信条を披露している。 故郷・青森県の六ヶ所村に存在する六ヶ所再処理工場に大きな関心を寄せている。だがその関心は矢野個人としての問題であり、楽曲に反映させることはないとも明言している。 幅広い音楽性と鋭い感性、そして独創的な唄い手・演奏家・作編曲家でもある彼女が制作する音楽は奇矯な印象を与えることもあるが、老若男女問わず幅広い支持を集めている。 山下達郎は「歌詞に最も食べ物が良く出てくる作詞家である」と評した。 事件:1955年、東京生まれ。 医師である父の開業にともない、3歳で青森に転居。中学まで青森市で過ごす。青森市浪打の青森明の星高校付属ピアノ教室でピアノを習い始める。 既にこの頃から「その日起きた楽しかったこと」などを、即興のピアノと歌で表現していたとされている。 1971年 - 軽音楽部に憧れて単身上京し青山学院高等部に入学。 高校生の部活動では満足できなくなっていたため、15歳のとき、父親の知人である安部譲二と当時の妻であった遠藤瓔子が経営するジャズクラブ「青山ロブロイ」に初めて訪れ、のちに安部家に下宿しながら夜な夜なセッションを繰り広げた。 これが業界人の間でたちまち噂になり、やがて高校を2年の夏休みに中退してプロの道を選ぶ。 1974年 - バンド「ザリバ」でシングルレコードをリリース。 デビュー当時18歳。レコード会社は矢野にしか興味が無かったので、すぐに解散。 長男の妊娠を機に矢野誠と結婚。当時19歳。 1976年 - デビューアルバム「Japanese Girl」を発表。 デビュー作にして、米国のロックバンドリトル・フィートをバックバンドに迎えてアルバムの片面で渡り合っている。もう一方は、あがた森魚、細野晴臣、鈴木茂、駒沢裕城、ムーンライダーズの面々。自作曲のほかに、故郷青森の民謡と、歌謡曲を矢野顕子流に料理した傑作とされている。アルバムの写真が「姫カット」かどうかは微妙。 1979年 矢野誠と離婚 ライブアルバム「東京は夜の7時」発表。なお、ジャケット写真は長男の風太(当時4歳)。同アルバム収録曲「カタルン・カララン」の作詞は、菊地まみと矢野風太と3名の共作となっている。 KYLYN BANDや格闘技セッション、YMOの第1回ワールドツアーに参加。 1980年 5月に長女美雨誕生。3月に産休に入るまでYMOの国内ツアーに参加していた。10月からの第2回ワールドツアーには再び参加。 1981年 - カネボウ化粧品のCMソングに起用されたシングル「春咲小紅」が、オリコンシングルチャート最高5位となるヒット。 シングルヒットとは殆ど無縁で、この曲以後、1990年にドラマ「やっぱり猫が好き」のオープニングテーマだった「David」が発売されるまでは、オリコンシングルチャートに返り咲くことさえなかった。 1982年 坂本龍一と正式に結婚。 糸井重里の発案で、中断期をはさみながらピアノ1台あればどこへでもライヴに赴くという「出前コンサート」をスタート。時期により形態は異なるが、スタッフはマネジメントとサウンドエンジニアのみ、個人でも招聘することができ、若年者と高齢者は入場料が無料となったこともある。 1984年 - アルバム「オーエスオーエス」収録曲の「ラーメンたべたい」が、のちに詩の教材として国語の教科書に掲載される。 1987年 - 「矢野顕子解散宣言」にて「出前コンサート」を一旦終了し、翌年より1年間の育児休暇に入る。 1989年 - パット・メセニーらニューヨークのジャズミュージシャンとのコラボレーションを軸に活動を再開。 1990年 - 一家でアメリカニューヨーク州へ移住し、現在まで拠点を構えている。 1991年 - アルバム「LOVE LIFE」よりEpic Sonyへ移籍。 1992年 - アルバム「SUPER FOLK SONG」発売にともない、ドキュメンタリーフィルム「ピアノが愛した女。」上映。 1994年 アサヒ飲料烏龍茶CMに出演。小林薫と共演。 ネスレ「ブライト」のCMに宮沢和史とともに出演。使用楽曲は「二人のハーモニー」。 1995年 - アルバム「PIANO NIGHTLY」制作のため、ウィーン郊外の城にピアノを持ち込みレコーディング。「ピアノ・ナイトリィ・ツアー」では託児所つきコンサートを行った。 1996年 - 「さとがえるコンサート」をスタート。アンソニー・ジャクソン、クリフ・アーモンドとトリオ結成。 1997年 - ジェフ・ボヴァとのユニット「THE HAMMONDS」結成。日米でアルバムを発表。 1998年 - 「出前コンサート」再開。 1999年 - スタジオジブリの映画「ホーホケキョ となりの山田くん」の音楽を手がけ、藤原先生役として声優も担当。 1999年 - 織部賞を受賞。 2000年 - 大貫妙子・鈴木慶一・宮沢和史・奥田民生と「Beautiful Songs」コンサートを全国8カ所で行う。 2002年 - NHKみんなのうたにて、坂本美雨と「くまんばちがとんできた」を共演。 2003年 - アニメ映画「あたしンち」の主題歌を担当。 2004年 - アルバム「ホントのきもち」よりヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍。同アルバムにてくるりの岸田繁やレイ・ハラカミとのコラボレーションによる楽曲なども発表。 2005年 デビュー以来初のオフィシャルファンクラブ「The gathering」を開設。1月からメンバー募集を開始。 映画「誰がために」の劇中音楽全てを担当。また、花王の消臭剤「リセッシュ」のCMソングの歌唱を担当。 11月23日 - 銀座のApple Store でライブイベントを開き、話題となった。ARENAmac.ASCII24 そのほか、マイカ・カルマン作の絵本「しょうぼうていハーヴィ ニューヨークをまもる」を翻訳。 ジブリ美術館で上映されている映画「やどさがし」、「水グモもんもん」で声優として出演。 2006年 レコードデビュー30周年。「さとがえるコンサート」10周年。 アルバム「はじめてのやのあきこ」にて槇原敬之・小田和正・YUKI・井上陽水・忌野清志郎・上原ひろみと共演。また、「FUJI ROCK FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」に初出演。 8月 - 坂本龍一と14年に亘る別居の末、協議離婚が成立。 11月 - 所属事務所が離婚を発表。 2007年 rei harakamiとのユニット、yanokamiとしての本格始動開始。デビューアルバム「yanokami」を8月8日ヤマハミュージックコミュニケーションズからリリース。 2008年 yanokamiとしてのデビューアルバムの英語版、yanokamickを3月12日にリリースし、シンガポールのMosaic Music Festivalに出演。 10月にはT・ボーン・バーネットのプロデュースによるアルバム、「akiko」をリリース。 8月1日から3日の間、ギタリスト、マーク・リーボウと一緒に、ブルーノート東京に出演。15日には「RISING SUN ROCK FESTIVAL」に再出演した。 映画「崖の上のポニョ」では、声優として「ポニョの妹」を担当。
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