WOODSOFT (puchi)

WOODSOFT (puchi)

简介:小档案 ハンドル名:プチ 血液型:B 型住所:兵庫県神戸市 身長体重:176m 64kgがベスト 最近太り気味 職業:いまはソフト会社にいます(ぉ) 趣味:パソコン通信、編曲、食べ歩き 好きな食べ物:ラーメン、カレーライス 好きな言葉:一期一会、鶏口となるも牛後となる無かれ 崇める音楽家:米光 亮、佐藤 準、田中公平、安藤まさひろ、本多雅人、山下達郎、竹内まりあ、浜田麻里、川井憲次ほか 好きなジャンル:フュージョン・クラッシック・GM・イージーリスニング 俗に言うアニメソングは余り聴かない 大事件 同人(コンピュータ)遍歴    中学1年、学校のコンピュータ関連の部活に入り初めてコンピュータに触れる。このとき触ったのが日立のBASIC MASTER Level3と同じ日立のMSX1「H-1」。Level3でプログラムを学ぶ。MSXでチューリップを聞き、初めてコンピュータで音楽を演奏出来ることを知る(^^;)。その後、プログラムの勉強そっちのけでPSGの勉強をする。Level3のBEEP音で1942(カプコン)のBGMとMSXのPSGでゼビウスを作るのが初めて曲と呼べるもの。当然、この頃は自宅にはコンピュータなく学校でのみパソコンに触れていた…。 中学2年、ファミコンブーム到来。ファミリーベーシックの三角波にはまる(爆)。「ファミリーベーシックで作ればファミコンそっくりの曲作れるやん」(当たり前(^^;))…でもメモリ不足(汗)。ちなみに、自宅にファミコンはなし。友人宅に行って作るのが常だった(この頃からビンボ癖が…)。部活では曲とプログラムとを組み合わすことを覚える。今から考えるとこれが同人の走りだったのかも知れない(^^;)。この頃にWOODSOFTの前進の「恥ずかしい」サークル名を考えるがマイブームに終わる(苦笑)。バッ活を購入(購読)しだしたのもこの頃。 中学3年、部長におさまり、したいことをしまくる(ぉ)。が、全盛を誇ったのは一学期のみ。あとは流離う(^^;)。この頃、前述の「恥ずかしい」サークル名を打開するためWOODSOFTの名称を考える。が、メンバーは私だけ(苦笑)。とにかく作れるものをどんどん作りネタを貯める。ただ、音楽の授業の成績は音楽の先生が見放すほど大変な状態だったと記憶している(マジ)。 学力が最低クラスだったものの、ぎりぎり近所の高校に合格する。先輩の勧めで化学部に入部。でも、化学部という名称とは名ばかりに内容はパソコン部(笑)。ベラボーマンとワンダーモモの曲は歌詞を覚えるほど唄う…そんな『濃ゆい』部活だった(爆)。今から思えば、この2曲とも米光 亮氏の編曲だった(^^;) 中学時代からはまった音楽はこの頃に開花。音源もPSGからFM音源に手を付ける。そして、中学2年の時、中学時代からのネタを集大成した初の同人ソフト『PROGRAM STUDIO Vol.1(MSX版)』を制作、神戸パソケットで初売りしWOODSOFTとしての活動を開始する。3作目を製作した段階でスタッフの増員を行い大所帯となる。そして最高傑作『PROGRAM STUIDIO Vol.3(MSX turboR版』が完成。 その後、進学の関係でスタッフは散り散りとなる。音源もFM音源からMIDI音源へと移行し作品のプラットフォームもMSX限定からMIDI全般へ。しばらくの充電期間を経て97年夏久々の復活を果たす…。
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