SHEENA (シーナ)

SHEENA (シーナ)

简介:小档案 SHEENA(シーナ)(しーな、1953年11月23日 - )は、日本の歌手。 夫でギタリストの鮎川誠と共に結成したロックバンド『シーナ&ザ・ロケッツ』のボーカリストである。福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。本名、鮎川悦子。血液型はO型。 小简介 1953年、福岡県若松市(現北九州市若松区)に生まれる。米軍基地のハウス・ボーイを経てダンスホールマネージャーになった後、洋装店を継いだ父のひとり娘。子供の頃から父の経営するダンスホールで様々なダンスを踊っていたという。 幼い頃は虚弱児だったが、その後は体を鍛え、中学2年生の時に陸上部でNHK放送陸上の九州大会に出場、ハードル部門で予選1位通過するまでになる。(現在ステージ上で何時間も歌い踊れる体力はこの頃についたと本人は語っている。)また、小学校の卒業アルバムの寄せ書きには、『私は歌手になって世界中を回りたい』と書いていた。 中学3年生の時に一人で福岡から東京まで行き2泊3日した最初の家出を皮切りに、中学~高校時代は、自由と様々な音楽を求め家出を繰り返す『夢見る家出少女』だったという。そして1971年、高校3年生の夏休みに家出して京都へ行った帰りに寄った、博多のダンスホール“ヤング・キラー"にてロックバンドサンハウスで演奏する鮎川誠と出会い、ステージ終了後に意気投合、そのまますぐに同棲生活を始める。 4年程の同棲を経て、双子(長女・鮎川陽子と次女鮎川純子)の妊娠を機に鮎川誠と結婚。その後、サンハウス解散後の鮎川と共に福岡から上京し、1978年、シーナ&ザ・ロケッツを結成。ヴォーカリストとして『涙のハイウェイ』でデビュー。 鮎川誠の妻であり、長女のモデル鮎川陽子、ロックバンドDARKSIDE MIRRORSで活動中の次女の鮎川純子(陽子とは双子)と三女・鮎川知慧子の3児の母である。 『シーナ』という名は、夫・鮎川の祖母の名前が「鮎川シナ」であったことと、2人が好きなバンド・ラモーンズの『シーナはパンクロッカー』という曲が由来である[1]。 歌手としてのデビューのきっかけは、上京後、鮎川の曲を女性シンガーが歌うというのでスタジオについて行ったところ、その女性シンガーから突然『この曲はアップテンポで大変だから、あなたの方が向いていると思う』と言われ、そこでチャック・ベリーの『カモン』歌ったことから始まる。幼い頃から『一枚でいいから自分で歌ったレコードを作りたい』という夢があったシーナは、それを歌い上げた後に『私、歌いたいの』と初めて鮎川に告白。それを受けた鮎川が『シーナがヴォーカルをとるバントを作ろう!』と決意し、ヴォーカリスト・シーナの誕生及びシーナ&ザ・ロケッツの結成に至った。 音楽界以外でも、テレビコマーシャルやファッションモデル等の出演も多い。 2009年には北九州市観光大使の任命を受ける。
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